非日常的日々。


「お〜〜〜〜い。リナ。」
「…………………………。」
「大丈夫か?お前。」
「……………何が?」
「だって、青スジ浮いてるぞ。こめかみに。」
「……………気のせいじゃない?」

ぴくぴくと口の端を引き攣らせながら、答えるあたし。
向い側では、心配そうな顔でフォークとナイフを持つ手を止めているガウリイがいた。
テーブルの上には、急いで大人数用に作られたらしい、汁物の食事。一階の狭い食堂は満杯で、人いきれで暑いくらいである。

「だいじょーぶよ。気にしてないから。」
「………そうか?」
「腹は立ててるけど。」
「………やっぱり。」目を閉じてため息を漏らすガウリイ。
あたしが怒ってるのは、間に合わせに作られた大雑把な食事でも、混雑してせまっくるしいからでも、暑すぎるからでもない。

周囲から浴びせられる好奇な視線。
こっそりと、時には大胆に大声で、交わされる下品な噂話の方に決まってる。

「あのちっちゃこい嬢ちゃんが……」
「あのでっっかいにーちゃんとねえ……」
「女将の話じゃ、ベッドは狭い方がいいって言ったってよ!」
「いやぁ、若いっていいねえ!」

こんな話が耳に飛び込んできては、ちょっとばかしフォークを握りしめる手に力が入ったとて、誰も文句は言えないだろう。
「うどぁあああああっ!!うっとーーーーしぃぃっっ!!!」
「連中、酒も入ってるからな。相当しつこいぞ。早く食っちまって行こう、な?」
なだめるように言うガウリイだが、彼も辟易しているのは明らかだった。

「あんた、隣の部屋だって?今夜は眠れねーかもなあ!」
「へっへっへ、うらやましーだろ!」
「明日の朝、報告しろよ!」
 
もー我慢できんっ!

 だんっ!!!

テーブルを両手で叩くと、スープ皿が跳ね上がった。男達が、一斉に静まり返る。
あのねえっ!!誤解のないよー、言っておきますけどっ!!
別にあたし達は、そんなんじゃありませんからっっ!今日はたまたま、宿の都合でそーなっただけでっ!
ここにいる連れは、保護者みたいなもんなんだしっ!
勝手に下世話なソーゾーしないでくれますっ!?」
 ざわっ・・・
賑やかだった食堂は、驚きのあまり点目になった男達で溢れかえっていた。
「おっさん達が考えてるよーなことは、全然まったくこれっっぽっちも!ありませんから!!!残念!!!ってことで、行くわよ、ガウリイ!」
言いたいことだけ言って、あたしは肩をいからせて席を立った。
「いや、まあ、そーいうことですから。どーもお騒がせしました。」
ガウリイがぺこっと頭を下げて、後をついてくる。

 し〜〜〜〜ん・・・・・・

あたし達が階段を上がりきってしまうまで、食堂の静寂は続いていた。
 






 
つかつかと足音を響かせて、部屋の前まで勢いに任せてくると。背後からガウリイの声がかかった。
「リナ………」
「お説教なら聞かないわよっ!」
「……………へっ?
あたしは足を止め、後ろをくるっと振り返った。ガウリイは面喰らった顔をしている。
「だから。今、怒鳴りちらしたこと!間違ったことした覚えはないから、あたし!」
「…………………ああ。」
合点したのか、ガウリイはにっこりと笑った。
「そのことか。いや、オレが呼んだのはそれじゃなくてな。」
「……………は??
今度はあたしが、何のことかといぶかしく思う。

ガウリイは手をあげると、摘んでいた何かをあたしの開いた唇の間にそっと押し込んだ。
「……………んむっ!?
冷たく、瑞々しいものが舌の上に落ちてきた。

「イチゴだよ。」ナフキンにくるまれた小さな包みをみせるガウリイ。
「食べ物を残すなってのは、普段のお前さんの口癖だろ?せっかくのデザートに手をつけなかったから。……………甘いか?」
「………………………」
舌の上のそれをかぷりと噛むと、じゅわっと果汁がこぼれて、口一杯に広がった。
鼻孔をくすぐる、甘い香り。
むぐむぐ、ごっくんと喉を鳴らすあたしを見て、ガウリイはふっと微笑み、包みをぽすっとあたしの頭の上に置いた。

「説教するつもりなんかないさ。お前さんが怒ってくれて、返ってすっきりしたくらいだ。
しつっこいからなあ。酔っぱらいのおっさんは。」
ガウリイはあたしの脇をすり抜け、ノブに鍵を差し込んだ。

がちゃりと扉が開く音を聞きながら、何故かあたしはイチゴのように真っ赤になっていた。
甘い香りと、甘酸っぱさを味わいながら。
 
 




 
 
 
しばらくして、あたしはドレッサーの前に座って髪をとかしていた。パジャマ姿である。
気をきかせて外に出ていたガウリイは、背後で自分の荷物をかき回している。
そしてあたしは鏡の中の自分に向かって、必死に自己暗示をかけているところだった。

一緒の部屋になっても全く気後れしないはずだったのに。
周囲の状況がどうもそうさせてくれないのだ。
オレ達が変わるわけじゃない、と言ってくれたガウリイの言葉に安心したはずなのに。

…………でええいいっ!
グダグダ考えるのは無駄なエネルギー消費に他ならないわっ!
ここはやっぱり、普段通りに振る舞えばいーのよっ!
そしてあっとゆー間に朝っ!すっきりと目覚めたあたしは、朝陽の中で昨日の愚かさを笑うのだわっ!
そうと決まればさっさと寝るっ!

あたしはブラシをたんっと置き、やや勇ましい気分で振り返った。
「んぎょぅおわっ!?」
「なっ、なんだっ!?」
あたしが上げた悲鳴に、上半身裸のガウリイが驚いた声を上げた。
「どうしたっ、窓の外に何かいたのかっ!?」慌てて後ろを向くガウリイ。
いや…………だから。あたしが驚いたのはソコじゃないってば。
「い、今のは気にしないでっ!」慌ててごまかそうとするあたし。
着替えるなら着替えるって言えっつーーーの!!!!
 
ところが何もないはずの窓際から、ガウリイが納得した顔で振り向いた。
「これに驚いたのか?そこから見えたなんて、随分目がいいんだな。」
「…………はえ…………?」
「ここんとこ雨続きだったし、こーいうのがうようよしてたって仕方ないよな。」
「…………な、何の話よ?」
「だからこれ。」
そう言ってガウリイが指差した窓枠に、とんでもないものが乗かっていた。

……………あの。
ヌメヌメの。
 ツルツルの。
 ウニョウニョの。

「いぁあああああああッッッ!!!!
どっ……それっ……なんっ………にゃぁあああああああ!!!!」その場にコーチョクするあたし。
「………あ。やっぱダメか。」
「ダメもダメ、大ダメっっ!!!いやッ!とにかくイヤッ!!と………とってとって、今すぐあっちやってッ!!」
「そんなに怖がらなくてもいいのに………。結構可愛いぜ、ツルツルして………。」
「見せんなアホぉおおおっっっ!」
「お前なあ、生き物を粗末にしたらいかんぞ。いつか恩返ししてくれるかも知れないじゃないか。」
「んなモンがいつか恩返しに来るかと思ったら、夜も眠れなくなるわいっ!」
「よく見ると、変わってるなこいつ。綺麗なピンク色だし。ツノがつんつんしてて愛嬌があるじゃないか。」
「ないっ!そんなものわっ!決してっ!」

激しく首を振り抵抗するあたしに、ガウリイはこんなことを言った。
「普段、オレに好き嫌いがどうのこうの言うくせに‥‥‥。
そうだ。この際、ちょっと試してみたらどうだ?もしかしたらイメージが変わって、弱点が克服できるかも知れないぞ。」
「えっ………いや、だっ………」
「ちょっと近づいてみろって。」
「えええっ!?」
「そうだ、思いきって触ってみたらどうだ。」
「ひいいいいっ!?」
ガウリイがくいっとあたしの手を引き、窓際まで連れていく。

た……確かに弱点は克服した方がいいとは思うがっ………

窓際……窓枠………そ………そそそそそその上には……

 ひいっ………!

た………確かに綺麗なピンク色ではあるがあるがあるがっ………!
「ほら…………怖くないから………な?」
ガウリイが握るあたしの手が、窓枠に………窓枠に………ピンク色の‥………
ウニョウニョうごめく……名前を言えないあの物体の上に…………
 

ぺそっ。

 
  ふ〜〜〜〜〜っ…………ぱたりっ。

うわ、リナっ!?お、おい、大丈夫かっ!?」
「らいじょーぶじゃらい……………ああ………せかいがしろひ……」
「いきなり倒れるやつがあるか、びっくりしたぞ。おい、本当に大丈夫か、何か冷やそうか?」
「……いい……ほ、ほっといれ……。」

何とかそう言ってあたしは目を開けた。
ふわふわして暖かいものの上に横たわっている感覚。どうやらベッドの上にうまく倒れたらしい。
心配そうな顔のガウリイが見える。
「すまん………。まさか倒れるほど苦手とは………。本当に大丈夫か………?」
そっとあたしのおでこに触るガウリイ。
すっかりこんと忘れていたが、その上半身は何も覆われていない。

…………………れ。
もしかしてこれって…………ヤバい?見た目的にヒジョーに?

ベッドに横たわるパジャマ姿の可憐な美少女。その上にのしかかる上半身裸の若い青年。
ぎしりと鳴るベッド。
「あ………………」
思わずごきゅりと鳴る喉。
 
ガウリイの手があたしの襟元にかかる。
「喉元を緩めた方がいいかな………。」

そーそー、とりあえず呼吸を楽にさせて…………じゃなくてっ!
ちょっと待ていっ!!!どこに手をかけとるっ!?

「い…………いいっ!大丈夫っ!ホントにめちゃくちゃ大丈夫だからっ!!!!」
慌てたあたしは盲滅法に手をつきだし、天を覆うようなガウリイの胸板をぐいぐい押した。
うわ。やっぱ筋肉ついてる…………って違う違うっ!
うだぁあああっ!この非常時に何考えてんだ、あたしわっ!!

「わ……わかった、わかったから、そう暴れるな。無理強いしたオレが悪かった。」
そう言ってガウリイはあっさり引き下がり、体を起こすと、窓の傍に行った。
やおら窓を開け、指先で窓枠をぴんっと弾く。
「これでもう大丈夫。だろ?」後ろ手に窓を閉めて、にこりと笑う彼。
訳のわからない動悸に戸惑いつつ、あたしはびしっと指を差して答えた。
「まだよっ!!その手をちゃんと洗ってきてから!!」
「はいはい。仰る通りにいたします。」
苦笑したガウリイが扉に向かう後姿を眺めながら、あたしはパジャマの襟元をわしづかみにしてベッドから起き上がった。
 

ううっ………。
全く全然これっぽっちも、ややこしくない状況だったはずなのに。
自分でややこしくしている気が激しくする…………。
落ち着け、リナ。
平常心。つまりは平常心を取り戻せば済むことなのよ。
いつものよーに振る舞っていれば、おのずとそこに平常心が………
 
 がちゃっ。
   づどどどどどどどどっ!!!

 
「な、なにっ!?今の音っ!?」
扉が開く音と同時に、ありえない物音が響き渡る。
見ると、廊下から部屋に向かって、人が雪崩のように倒れこんできた。

「いってててて…………」
「ぬふうっ!誰だ俺の頭にケツを乗せてるやつはっ!」
「誰でい、あっしの手をドサマギで握ってるお方はっ!?」

モゴモゴとイモムシが動いている。いや、ほとんどがムサいおっさんだけど。
「……………あんたら…………何やってるんだ…………?」
ガウリイがノブを握ったまま、呆れた顔をしていた。
おっさんズは揃って決まり悪気な笑みを浮かべ、それぞれ見苦しい言い訳を始める。
「いやあ………ははは………俺達、別に怪しい者じゃ………」
「そっ………そうそう!俺なんか隣の隣の部屋のモンだし!」
「トイレに行った帰りで。」
「たまたま通りかかっただけッスよ!」
そう言いながら彼らの視線が、一斉にベッドの上のあたしに向けられた。

‥‥‥‥こ……………こらっ!
何なのよその、うれしそーな視線はっ!?
その目に浮かぶ、期待通りのもんを見たってな輝きはっ!?

「ちいっ……いいところで……」

残念そーに舌打ちすなっ!
何を期待したんだ、あんた達はっ!!!

「はいはい、用がないなら引き取ってくれるかな。」
手近なおっさんの首ねっこをひょいっとつかんで、にこやかに手を振るガウリイ。
「んじゃリナ、この人たちを送ってくるから。ちゃんと手も洗ってくるからな。先に寝てていいぞ。」
ぱたむっ!と扉が閉まる。
 
だがあたしの耳は、ガウリイとまでは行かなくてもすこぶる高性能なのだった。
廊下で話すおっさんズの声が届いてしまう。

『いや、だってよ。若い男女が同じ部屋でよ………』
『悲鳴が聞こえたし………物音もしたし………』
『ちょいと気になって………そしたらよ………』
『綺麗なピンクとか、ツンツンとか………』
『んでよ、触ってみろだなんて、兄ちゃんも大胆な………』

 ゴンッ!

何やら不穏な音が聞こえた後、やや廊下は静かになった。



 

あたしはベッドの上で、がっくしと肩を落とした。

もしかしてももしかしなくても。
今夜は宿屋中が耳になってるのでは………。

この先、何日滞在することになるか、わからないっていうのに。
あいつらが噂でも広めたりした日には…………。

『部屋に入ってみたら、兄ちゃんはまだ上しか脱いでなくてよ!』
『女の子がベッドで真っ赤になっててよぉ!ありゃあ怖くて拒んだんだな!』
『上着の襟元をしっかり押さえてたから、間違いねえなあ!兄ちゃんも可哀想に!』
『でも時間の問題だぜ、きっと!』
『頼む、部屋替わってくれい!!』

…………てな会話が交わされることもあるに違いない。

あああっ…………!
何を微に入り細を穿つ解説をしとるんだ、あたしはっ!!
平常心っ!どっかに平常心落ちてませんかぁっ!?
 


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