エレベーターは降下。
途中の階で一切止まらずに、最下層を目指す。
地下7階。
「お、おい?どういうことなんだ?」
ガウリイがトランシーバーのスイッチを入れた途端、混乱した現場の状況が伝わってきた。
「捕まえたんじゃなかったのか?どうなってるんだ、一体?」
「………やっぱりね。こう来ると思ってたわ。」
ノートPCの前からすっと立ち上がり、リナは肩をそびやかした。
「だから穴だらけだって言ったの。
まんまとファントムに騙されたのよ、あいつら。」
十六分割のライブ映像の中でうろうろする男達を見て、嘲りの口調になる。
「オレ達も上に行った方がいいんじゃないか。
ちょうどエレベーターも降りてくる。」
ショルダーホルスターからシグ・ザウエルP226を抜き、下向きに構えてガウリイが入口へ向かう。
「そーね……。」
リナの手のひらの中に、降って湧いたように同社製P239が現れる。
女性でも持てるように設計されたという、全長6.7インチ強の軽量小型の銃だった。
すでに立ち上がる時に、ブーツの中から引き抜いていたらしい。
リナはその場から動かず、両手で構えて照星を合わせる。
目の前にある、無防備な広い背中へと。
「その辺で、お芝居はやめにしない?ガウリイ。
…………いいえ。
怪盗ファントムと呼んだ方がいいかしら?」
「……………!」
後ろで結んだ長い髪が、黒いウィンドブレーカーの上で揺れて止まった。
「振り向かないで。後ろから狙ってるの、わかるでしょ。」
低く抑えてはいるが、子供のように高い声だった。
それでも十分、凄みは効いている。
何より、シングルカラムのマガジンには、9ミリ口径の弾が8発入っているのだ。
「武器を捨てて。」
「……………………。」
ガウリイは素直に指示に従い、安全装置がかかったままの銃を手放す。
ゆっくりと両手を挙げ、言われる前に頭の後ろで組む。
カラララッ……
リノリウムの床の上を、P226が滑る。
「………どうしてオレだと?」
その声は普段の相棒のものと、そっくり同じだった。
無論、間近で見た顔も姿も、どこにも不審なところはない。
誰が見てもそれはリナのパートナーであるガウリイにしか見えないはずだった。
「答えは、エレベーターが教えてくれるわ。」
銃を構えたまま答えるリナ。
ポロロン……
エレベーターが到着したことを知らせるメロディ。
ガアアアア……
そしてドアが開く。
一階の捜査官達が目にしたと同じ光景がそこにあった。
内部には人の姿は全くない。
無人の篭。
「誰も乗ってないぜ?」
「そう。誰も乗ってないわ。………人はね。」
「……………………。」
「あなたはあたしより先にエレベーターに乗り、昇降ボタンを押すつもりだった。
そして。
そこからぶらさがってる、”カオティックブルー”を何食わぬ顔で懐に納めて、一階にあがり、隙を見て逃げ出す予定だった。
………そうじゃない?」
「…………………。」
金髪に包まれた頭がわずかに揺れた。
背中を向けたままだったが、リナが銃を向けた相手は、密やかに笑ったようだった。
「…………お見事。
さすがはオレの見込んだ捜査官だ。
宝石の在り処まで言い当てるとはね。」
声は同じだったが、口調が変わっていた。
「………いつから気づいた?」
「最初から疑ってたわ。
展示室から一切の人間を排除して、カメラだけで監視するってプランを聞いた時から、怪しいと思ってたわよ。
最近建てられたインテリジェントビルなのよ、ここは。
つまり相当の腕があれば、情報は筒抜けも同然だわ。
あのカメラの映像も、全て事前に用意しておいたものと途中で切り替えたんでしょ。
しかも突入部隊には嘘の無線まで流して。
本当はあの部屋にガスは噴射されず、あなたも現れなかった。
だってずっとここに、あたしの傍にいたんですものね。」
「…………………。」
「エレベーターが無人で降りてきた時、確信したわ。
最上階から降りてきたのはエレベーターだけ。
展示室からカオティックブルーを持ち出せたのは、エレベーターだけだってね。
何らかの仕掛けでケースからカオティックブルーを出し、エレベーターで運ぶようにしたんでしょ。」
ガァアアアアッ!!
リナの言葉を合図にしたかのように、エレベーターのドアが一人でに閉まった。
ガコンッ………
ワイヤーが巻かれ、無人のままバスケットは動き出す。
階数表示とともに、一階へと。
「………………やるな。」
素直に相手を讃えた怪盗は、ひゅうっと口笛を鳴らした。
これでカオティックブルーは手の届かない場所へと移動してしまったことになる。
「しかし、完璧に化けたつもりだったんだがな。
どこでわかった?」
武器を手放し、から手で両手を後ろで組んでいる状態だと言うのに、偽者のガウリイは落ち着いた様子だった。
リナは照星から目を離さずに答えた。
「エレベーターが、わざわざ最下層の地下7階にまで降りてきたところよ。
そこで確信したわ。
一階で捜査官が走り込んでいれば、そこにも可能性はあった。
でも誰も立ち入っていない。
次に開くのはこの7階。
ここにいるのは、あたしとあなただけ。
そして、あたしはファントムじゃない。
消去法よ。
結論として、あなたしかありえないのよ。ファントムは。」
「………結論として、ね。」
「まあ、でも?」
一歩、二歩。
リナは怪盗に近づく。
半年前、本当にあと一歩で捕まえるはずだった相手に。
「ホントはもっと前に、あなたを怪しいと思っていたけどね。」
「…………へえ?」
ファントムの声には恐怖は微塵もなく、ひどく面白がっている気配があった。
「それはまた、一体どうして?」
「ふ………それはね。」
リナは目を半開きにして、ずばりと言い放った。
「『そうは問屋が卸さない』って慣用句を知ってたから!」
ずるっ!
怪盗の揺るがない背中が横滑りにぐらついた。
「動かないで!」
「う……動きたくなるようなことを言うからだろう!
なんなんだ、それは!」
今度は呆れたような声だった。
リナは怯まなかった。
「だってガウリイが知ってるわけないじゃない。
あいつはね?FBIが何の略かも知らなかったのよ?
入局して四年にもなるあたしより先輩のくせに、しかも天下の狭き門であるFBIに入っておきながら、知らないってゆったのよ!
あいつの脳みそは筋肉でできてるのよ、筋肉で!
そんな人が慣用句の一つも知らなくたって、あたしは不思議じゃなかったわ!」
「………………おいおい……。」
「まあ、観念することね。
この一部始終は、一階の指揮所にも流れているのよ。
体力自慢の捜査官なら、地下7階まで階段で降りて何分かかるかしらね?」
「なに………?」
怪盗の声に、初めて驚いた調子が伺えた。
「どうやって………?」
「トランシーバーが一台だと思った?
イヤホンつけてなきゃ、あたしが何も聞いていないと思った?
甘いわね。
骨伝導スピーカーって便利なモンがあるのよ。」
銃を構えたまま、わずかにリナが首を逸らす。
コットンのシャツの下、鎖骨の辺りに白いコードのようなものがちらりと見える。
「………なるほど。
そいつは想定外だったな。」
最初の言葉の前に微妙な間があった。
怪盗は何かを考えているようだ。
リナはさらに一歩を踏み出す。
「観念しなさい、ファントム。
今度こそ、捕まえてやるわ。」
今度こそ、自分の手で。
そう思うリナに、怪盗がこんな事を言った。
「…………残念だが。
まだお前さんに捕まるわけには、いかないようだ。」
「…………え?」
ドガァアアッッ!!
ガランッ!!
ダカダカダカッッ!!
それは一瞬にして起こった。
地下への扉が激しく開かれる音。
踏みならされる複数の足音。
何かを被せたように鈍い発射音。
金属製の柱に当たった跳弾のかん高い音。
リナはそれらを、目の前を塞いだ暖かい壁ごしに聞いた。
「なっ………!?」
体がふわりと浮き、目眩に似た感覚を伴って移動している。
ようやくそれが床の上で止まり、リナは自分がどういう状態に置かれているか把握できた。
「ガウリイ………じゃなくて、ファ………ファントム!?」
暖かいのは人の胸で、ウィンドブレーカーと黒のスーツに包まれた男性に抱きかかえられていたのだ。
目の前に首筋と喉仏が見え、高い顎と長い黄金色の前髪が揺れていた。
「油断するな、リナ。前を見ろ。」
「え…………?」
チュインッ!!
火花が散り、遮蔽物にしている柱がまた一つ跳弾を生む。
「な………何をやってるの、あんたたたちっ!?」
思わずリナが声を上げたのも無理はなかった。
使い切ってしまった消音器を外し、新しいものを悠々と付け替えているのは、展示室で右往左往している特別班の面々にそっくりの格好をしたFBI職員だった。
黒い目だし帽にゴーグル、ケプラー繊維のスーツ、防弾チョッキ。
黄色い書体の三文字。
たった二名だが、それが銃を向けている。
ファントムと、リナの両方に。
「丸腰の相手をいきなり撃つなんてどういうっ……!
しかもあたしが……」
もがくリナを押さえ、ファントムが横っ飛びに転がる。
壁際の別の柱の影へ。
その軌跡を着弾が追いかける。
怪盗の胸に埋まりながら、リナの自慢の脳が高速で回転していた。
事態を理解しようと。
ダッッ!!
二人が走り込んでくる。
一気に距離を詰められ、次の遮蔽物へと動こうとする怪盗に、容赦ない一発が発射される。
神業とも言える反射速度でそれを察知し、避ける怪盗。
パンッ!
「!」
反撃は思わぬところから出た。
牽制弾に、二人は慌てた様子で後退。
互いが柱と柱の影に隠れる。
「…………!」
腕の中から発射された一発に、何より驚いたのは怪盗のようだった。
彼は短く呻き、信じられないという一瞥をリナに向けた。
奇跡的に離さずにいたP239を、小さな捜査官はまだ構えている。
「……………」
ガウリイにそっくりの端正な横顔に、ふっと笑みが浮かぶ。
リナの耳に、低い声が囁きかけた。
「そのまま、動くなよ。」
「!?」
ガインッ!!
長い足が繰り出され、地下の壁が思いきり蹴飛ばされた。
その意図に襲撃班が気づく前に、壁にぽっかりと穴が開き、怪盗が飛び込むのが見えた。
ばたつくマウンテンブーツとともに。
「うぎゃぁああああああああっ!!!!???」
リナの視界が一転し、悲鳴は暗闇へと吸い込まれていった。
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