『最後に君は微笑んで。』

 


    2。
 
 
 
 その日の夕方。
 賓客用の寝室の一つで、三人ははなすすべもなく立ち尽くしていた。
 
 部屋の中央に、天蓋つきの大きなベッドがある。
 真っ白いカバーをかけられた、羽根布団がこぼれるばかりだ。
 ふかふかの枕に埋もれるようにして、小さな顔がのぞいていた。
 両脇に、まるで後光のように栗色の豊かな髪が広がっている。

 「……まさか…………こんなことが…………。」
 沈黙を破り、呆然とした様子のアメリアの呟きが漏れた。
 「だって……誰よりも元気で、生命力に溢れてて……。
 何があっても生きのびるような人じゃないですか………?
 こんなの………信じられませんよ…………。」
 眠っているのはリナだった。
 かつての旅仲間の、中心的存在だった少女。
 共に数々の修羅場を切り抜けた仲間だからこそ、出てきた言葉だった。
 「リナさんが………原因不明の病に罹るなんて………」
 「……………だが………。医師団の見立ては、俺と同じだ……。
 旅の間で一度だけ聞いた病が……まさかこんなところで………。」
 ゼルガディスの声も掠れていた。
 
 その少し前。
 今は退室した王族お抱えの魔法医師団が、リナに下した診断はこうだった。
 魔法医学書にもまだ正式な名前が載らない病。
 原因不明の劇症型疾病。
 突発的に発作を起こし、呼吸困難に陥り、胸部に強い痛みを伴う。
 悪くすればそのまま死に至る。
 セイルーンが集めた情報の中でも、まだ数件の報告しかない。
 いつ発作が訪れて。どうすれば軽減できるかも一切が不明。
 問いつめる面々に医師が告げた言葉は、絶望的だった。

 専門家は誰も知らないのだ。
 どのようにしてこの病にかかるのか。
 発生源はどこなのか。
 症状の進行はどの段階を辿るのか。
 治療方法があるのかさえ。
 
 そして。助かる確率が、どれほどあるのかも。

 
 「発作が起きる以外は、普通と変わらなくて………。
 病気に罹っているように見えない、なんて…………。
 そんな…………こんな事って………」
 アメリアの言葉は、口にしない他の男達の胸の打を代弁しているかのようだった。
 「…………………。」
 悄然と立ち尽くす、かつての旅仲間達。

 一人、ふらりと塊から抜け出した人物がいた。
 ガウリイだった。
 数歩でベッドに辿り着く。
 体力を使い果たし、リナはこんこんと眠っていた。
 そこに苦しみの陰はない。
 少なくとも今は安らかな顔で眠っている。
 顔の青白さは取れていたが、そうしているとひとまわりもふたまわりも小さく見えた。
 誰よりも元気で、誰よりも口が回る人物が眠っていると。
 この体のどこにあれだけのパワーが潜んでいるかと疑いたくなる。
 それほど華奢な姿だった。
  
 ガウリイは手を伸ばし、いつもそうするように小さな頭を撫でた。
 「う……ん」
 感触が伝わったのか、微かにリナが身じろぎする。
 夢でも見ているのか、口の端がふわりと頬笑んだ。
 「……………………」
 ガウリイはベッドの端に腰を下ろした。
 何かを探るように、広げた自分の両の手のひらを見つめる。
 「治す方法は、見つかってないって言ったよな………。」
 「…………………………」
 誰もすぐには堪えられなかった。
 それが憤るでもない、泣き叫ぶでもない、静かな声だったからだ。
 「………研究しようにも、症例が少なすぎるんだ………。
 助かった人間はほとんどいないらしい…………」
 冷静なゼルガディスの言葉も、今はただ空しくアメリアには感じられた。
 百の言葉も、千の知識も、眠る少女の髪を撫でる男を救うことはできないのだ。
 「医者が言うにはだが……。
 あるいは……これから心静かに、穏やかに暮らせば………。
 寿命をまっとうできるかも知れない…と……。
 何が引き金で発作が起こるかわからない以上……何の根拠にもならんが……。」

 「…………ふ〜〜ん………そうなんだ……。」

 「!」
 全員が一斉に顔をあげた。
 ベッドの上で眠っていたリナが、目を開けて天井を眺めていた。
 「リ……リナさ………」
 青ざめるアメリア。
 「聞いてたのか………」
 眉を寄せるゼルガディス。
 枕の上から二人を交互に眺めると、リナはにっと笑った。
 「さすがは天才と言ったところよね。あたしってば。
 人様が罹る病気とは、ひとあじ違うってわけね。」
 「!」
 この言葉に二人はもろに顔色を変え、つっかかってきた。
 「リナさんっ………!こんな時に何を言ってるんですっ……!」
 「冗談を言ってる場合じゃないぞ……!」
 「そっちこそ、何言ってるかな。
 ………こーいう場合だからこそ、こーいう言葉が相応しいってものよ。」

 「……リナ」 
 ガウリイが差し出した腕を断わり、リナはもぞもぞと起き上がって周囲を見渡した。
 息を深く吸い込み、おどけた仕種でぷはっと吐き出す。
 「原因不明の病、か。
 こればっかりは、いくら天才魔道士でもどーにもならないわね。」
 ちゃはは、と頭を軽くかき、リナは笑った。
 「こーしてると別にどっこも何ともないんだけどね。
 ………そっか。病気なのか。あたし。」
 「リナさん…………」
 アメリアがどう答えたらいいかわからないでいると、リナはぱたぱたと手を振った。
 「や〜ね。病気だからって、ヘンな同情はなしよ。
 世界中で、病に苦しむ人なんて、ゴマンといるもの。
 その一人にたまたまあたしもなっただけよ。
 そりゃ驚いたけど……まあ、なっちゃったもんは仕方ないってゆーか。
 我が身を嘆いて日々悲嘆に暮れるってのは……性分じゃないしね。」
 心配気な仲間達の顔をちらりと見て、リナは肩をすくめて見せた。
 「そんな顔しないで。気分が暗くなるから。
 これでもあたし、すぐに死ぬつもりはないんですからね?
 これからどーするか、ちょっと休んでから考えるわ。
 悪いわね、アメリア。ベッド借りちゃって。」
 アメリアはなにも言えずにぶんぶんと首を降るばかりだった。
 「リナ‥…………」
 ガウリイが手を伸ばして、頭に触れようとした。
 笑っていたリナがびくりと震え、さっと避けたのに本人以外の全員が気づいた。
 「リナ…………?」
 
 その途端、リナの身体が強ばった。
 「ぐ………っ!
 呼吸が止まり、苦しげに胸を押さえ、座ったままの姿勢で前へ倒れこむ。
 「リナっ!
 青ざめ、冷たい汗をかくリナを抱え起こすガウリイ。
 「リナ、リナ!しっかりしろっ!」
 「……………く……………」
 「リナ…………!
 リナの痛みを共に抱くように、ガウリイはその小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
 胸に抱え込み、頭をかき寄せ、何度も撫でる。
 
 

 
 医者を呼ぼうと廊下に出たアメリアの耳に、ガウリイの声が届いた。
 「オレにできることは、何もないのかっ…………!」
 囁くような、低い声だった。
 だがアメリアには、それが切なく響き渡る悲鳴に聞こえた。
 
 
 




 



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