3。
「……で、これからどうするつもりなのじゃ……?」
一夜開けて、リナ以外の面々は食卓に揃っていた。
フィリオネルは国王となっていたが、以前のまま気軽に全員を朝食の席に呼んでいた。
「良ければ、我が都でしばらく静養するとよい。
安静にして、心穏やかに暮らした方がよいと医師は言ったんじゃろう?
必要なら、住む場所も用意させてもらうが。」
父親の言葉を、アメリアが頷いて強調する。
「そうですよ、ガウリイさん。そうした方がいいです。
昨日の発作はすぐに治まったからいいものの。
またいつなるかわからないんですから。」
「ああ……。」
朝から豪勢な食事を眺めていたガウリイは、ぽりぽりと頬をかいた。
「まあ……それはリナと相談してから……。
最初は、あいつの故郷に行く予定だったし……。
こうなったからには、余計にそうした方がいいかと……。」
「あ………そう……ですね………」
目に見えてアメリアは落胆したが、リナの状態をまず家族に知らせるのが当たり前だと思い直した。
「ゼフィーリアまで、私もついていきます。いいでしょう、父さん。」
「構わんが。二人のらぶらぶ旅行に水を差すんじゃないかな、娘よ。」
「父さん………リナさんに今の言葉、絶対に言わないでよ……。
この城が破壊されるだけじゃ、済まないわ………」
「なんじゃ。まだ照れ屋さんなのか。リナ殿は。
端から見れば昔からお前さんたちは仲が良かったが、それではガウリイ殿も苦労するであろうな!」
「………はは………」
フィリオネルに背中を叩かれ、苦笑するガウリイ。
周囲が無理に勧めるまで、彼は料理に手をつけようとはしなかった。
一緒に寝ずの番をしていたアメリアとゼルガディスを部屋に引き取らせ、ガウリイは席を立った。
食事の席も、リナの部屋からは近い場所が選ばれていた。
フィリオネルなりの気遣いらしい。
一人、セイルーン城の長い廊下を歩く。
高い天井、その下に敷かれた絨毯の上を歩いていると、一人の人間の存在などちっぽけなものに思えてくる。
それだけ流れてきた時間の方が重いからだ。
「…………………。」
絨毯の上を歩きながら、ガウリイは窓の向こうに視線をずらした。
朝陽を浴びて、若々しい碧の青葉が枝々でさんざめいている。
たとえ何があろうとも。
世界はその歩みを止めることはない。
時が止まってくれたらと思う人間が、どれだけいたとしても。
心を闇に閉ざしたまま、光を見ない人間がどれだけいたとしても。
空は晴れ、風は吹き、緑は芽吹く。
その中の一枚が今、舞い散ったとして。
雲が一つ吹き縮れていくこともないのだろう。
廊下の隅にあるドアの前で、ガウリイは足を止めた。
………何をバカなことを。
とりとめのない思いを振払うように、ガウリイは自分の頬をぴしゃりと叩いた。
深呼吸し、こつこつとドアをノックする。
と、中から答えがあった。
「どうぞ。」
「…………!」
ガウリイは部屋に入って驚いた。
ベッドはもぬけの殻で、掛け布団がきちんと直されている。
つきっきりでついているはずの魔法医の姿もない。
代わりに、見慣れた姿が窓際に立ってこちらを向いていた。
床まで届きそうな真っ黒なマント、いわくありげな紅玉を抱いたショルダーガード。
宝石護符をちりばめたベルトと剣帯。
ポートワインの色に似た濃紅のチュニックに袖を通した、いつもの黒魔道士姿のリナだった。
「起きてていいのか…‥…?」
ドアを締めて、ガウリイは心配げに近寄った。
「発作は………」
「見ればわかるでしょ。今は起きてないわよ。」
「そうか……。良かった。」
「大丈夫よ。心配しないで。」
「……心配………しないわけないだろ。
オレは、お前さんの保護者なんだから……」
リナの声がどこかよそよそしく、拒絶するように冷たかったので、言わずもがなのことをガウリイは言った。
「すっかり着替えてるところを見ると……もう旅に出るつもりなのか?」
「そうよ。いつまでも厄介になってるわけに行かないしね。」
「アメリアもフィルさんも、お前のことを厄介だなんて思ってないぜ。
もう少し、身体を休めてからの方が………」
「ぐずぐずしてると、決心が鈍りそうで嫌なのよ。」
「決心………?」
リナはこくりと頷くと、少しの間、黙り込んだ。
それから息を吸い込み、吐き出すと。
片方の手を、ガウリイに向けて差し出した。
「今まで、ありがと。ガウリイ。」
「………………!?」
ガウリイは信じられないものを見るような目で、差し出された手のひらを見つめた。
まるで別れの握手のようだ。
かつてゼルガディスと別れる時に、リナが差し出したように。
「どういう……事だ……?」
やっとそれだけ言った。
「………お別れの挨拶ってやつよ。」
差し出した掌を、リナは引っ込めようとはしなかった。
「最後に握手くらい、してくれてもいいでしょ。」
「最後って………」
呆然と呟いたガウリイは、掌を握り返すようなことはしなかった。
壊れ物に触るように両手をそっと伸ばし、リナの肩に置いた。
「どういう、事なんだ……?リナ………。
わかるように説明してくれ………。」
両手で軽く揺さぶる。
リナはしばらく黙ってされるがままにしていたが、それから口を開いた。
「わかりきった事よ。
こうなった以上、あたしは一人で実家へ帰って静かに暮らすわ。
そこなら、少なくとも人様に迷惑かけないで済むしね。
ガウリイはあたしの病気と何も関係ないんだから、そこまでつき合わなくていいのよ。
だから、ここでお別れってわけ。」
何もかも考えて出した結果だとばかり、リナは事務的に言葉を続けた。
肩をすくめ、両手を広げ、ガウリイの顔を見上げた。
ガウリイは驚きに目を開いたままだった。
そうして相棒の顔を見ていると、決心が崩れてしまいそうで。
リナは軽く咳払いし、相手を信じさせようと小さく笑みまで浮かべた。
「………今まで、いろいろありがと。
ガウリイと一緒に旅してて、大変なこともあったけど。
退屈だけはしなかったわ。
あんたは自由よ。
自分の故郷へ帰るなり、旅を続けるなり。
誰か、あたし以外のパートナーを見つけてもいいしね。」
リナの長い言葉に比べ、ガウリイの返答は短かった。
「…………本気で……言ってるのか……?」
彼は眉をひそめ、リナの肩をもう一度揺すった。
「本気よ?これから先は、一人の方が気楽だわ。
病人扱いされて、いつ発作が起きるかとずっっと心配されてるの、嫌だから。
自分のためにそーするの。
だからガウリイは気にしないで、自分の旅を続けて。」
「………………………」
ガウリイの手がリナの両肩から離れた。
リナはもう一度手を差し出したが、やはりそれが握られることはなく。
仕方なく手を引っ込める。
「笑って別れたかったけど、残念ね。
アメリアには世話になったし、一言挨拶してくるわ。
それからすぐ出発するけど。
………さよなら。ガウリイ。
元気で。」
「…………………………」
言葉を失ったガウリイの脇をすり抜け、リナは一人ドアに向かった。
「ごめんね。葡萄、食べられなくて。」
小さな呟きを耳にして、ガウリイがはっと顔を上げた。
「リ………」
ガタンッ
背後でただならない物音がした。
「なっ………!?」
向き直った視界に、リナの姿はなかった。
からっぽのドアがあるだけ。
「リナっ!」
ガウリイが駆けつけた先は、彼女の靴が踏んでいたはずの床だった。
そこには、叩き付けられたように倒れているリナがいた。
「お前っ……」
ガウリイは抱き起こして愕然とした。
今までにない激しい痛みに襲われ、リナは唇を噛んで顔を歪めている。
「…………っっ…………………!」
「リナっ……!」
「………………く…………」
痛む胸を掻きむしり、胎児のように体を縮めるリナ。
「…………っ………」
背をさすり、額に浮く脂汗を拭うガウリイを見上げる。
瞳がゆらゆらっと動いた。
「………………ガウ……リ………」
リナは呟いたが、次第に強くなる痛みが、その声からも体からも、力を奪っていった。
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