「ありがとうの代わりに」



獣油のランプがきい、と天井で揺れる。

「なんで一部屋なのよ〜〜〜〜〜。」
ぶちぶちぶち。入ってきてからすぐ、リナの愚痴は始った。
「あんた、手持ちはあるって言ったじゃない。」
「はい。あるにはあるんですが、今後の事を考えるとあまり無駄使いはできませんし。」

靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた男の子は、ちょこん、とベッドの上に座っている。
「う・・・・。ま、まあ、それはそうなんだけど・・・。」
ちらりっとガウリイを見る。
彼は一つだけの長椅子に腰かけ、どっかりとテーブルに足を乗せている。
「だからって。なんであたしとガウリイが、その、ごにょごにょ、で、あんたが、その、ごにょごにょ、なのよ。」
「フロントで夫婦とその子供、と言ったのが気になっていたんですね。」
眼鏡の奥で、少年はにっこりと笑った。
「一部屋に3人泊まるには、ちょうどいい名義だと思ったからです。
・・・・いけませんでしたか。」


街の安食堂で夕食を済ませた一行。
とある宿屋のフロントに、3人1部屋で、と告げた時。
宿屋の主人は不審そうに3人を見比べた。

片や、真っ黒なマントを纏い、あちらこちらに宝石を嵌め込んだいわくありげなアクセサリをつけた、見るからに黒魔道士風情。
片や、ライトアーマーの剣士タイプ。
そして、身なりのよさそうな、心細そうな顔(そう見える)の少年。
すわ誘拐か、と主人が思っても無理はあるまい。

その時、彼がくいくいっとリナのマントをひっぱり。
『おかあさん。』と言ったのだ。
硬直したリナをよそに、さらに少年はガウリイに向かって
『おとうさん。ぼく、疲れた。』
一瞬、ガウリイも固まっていたが、ややぎこちなく宿屋の主人に言った。
『すまんが、息子が眠たがっているので早くしてくれないか。』
主人はほっとした様子で鍵を寄越す。
リナは、ガウリイが引っ張っていかないと動けそうになかった。



部屋に入って開口一番、リナが愚痴を言い出したのはそのせいかも知れない。
「大体、このあたしにこおんな大きな子供がいるように見える!?」
「大人に見られたんだからいいじゃねーか。普段は子供扱いされると怒るくせに・・・・」
「なんか言った。」
怒気はらむリナの声に、ガウリイはソファに座り直す。
「い、いえ、なんでもありましぇん。」
今にもガウリイに向かって拳を振り上げそうなリナのマントを、少年がくいくいっと引っ張る。
「早く寝ましょう。明日は、早く起きないと。」
「なんでよ。」
「時間がかかればかかるほど、必要経費が足りなくなります。」
「・・・・ごもっとも。」
「で、・・・どーすんのよ。・・・・ベッドは、二つしかないのよ。」

さして広くもない部屋は、いちおうダブルの部屋だったのでベッドは二つあった。あとは、低いテーブルが一つと、長椅子。鏡台がひとつ、作り付けのクローゼットがひとつ。

「あ、そうでしたね。じゃあ。」
座っていたベッドから立ち上がり、長椅子の上のガウリイに向かって一言。
「じゃあ、僕はこっちで寝ますから。お二人はどうぞそちらで。」

ぐわらがたがた・・・・!
かあぁぁぁぁっ!
ぱくぱく!

「あれ。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか、じゃないわよおおお!!い、いきなりなんつーこと口にするのよあんたわ!!」
「何か、おかしな事を言いましたか。」
「い、い、い・・・・」
「おいぼーず。」
立ち直ったガウリイが、いつのまにか少年の背後にしゃがみ、耳もとに囁く。
「言っとくけどな。あのねーちゃんは、怒らせると怖いぞお?からかうなら、命がけでやらんと。」
「だ・れ・が、怖いねーちゃんですってえ?」
「ああっ!すいませんすいません!!」
「がるるるるる・・・!」

二人のやり取りを見ていた少年は、目をぱちくりとさせた。
ずれた眼鏡を直す。
「え〜〜〜と、ということは、お二人はそういう御関係じゃないって事ですか。」
「あ、あったりまえでしょ!!どこをどー見たらそーなんのよ!」
「・・・はあ。」
「まったく近頃のガキんちょと来たらマセてるんだから!」
「まったくだ。」
同意した二人は、顔を合わせ、一瞬見つめ合い、そして慌てて視線を逸らした。
「さ、さてと、じゃああたしはこっちで寝かせてもらうわ。」
そう言うと、さっさと片方のベッドに潜り込むリナ。着替えもしない。
「えーーーと。じゃあ、オレとこっちで一緒に寝るか、ぼーず。
ちょっと狭いかもしれんが我慢してくれ。」
「はい、わかりました。」
素直に納得したのか、少年はすんなりと応じた。





翌朝。
少年を先に歩かせ、その後をついていく二人。
街を出て、街道を東へ向かう。
道標には街の名前が書いてあり、それに見覚えがあると少年が言ったからだ。
記憶が確かでない以上、少年の直感とやらに付き合うしかない。

「なあ、リナ。」
「ん〜〜〜?」
「記憶がないってのは、どういう事なんだろーな。」
リナと並んで歩いていたガウリイは、隣に向かって小声で言った。
彼のよくやる、リナにだけ聞こえる程度の低い声だ。
「記憶がないってのは、記憶がないってことでしょ。
名前も住んでた場所も、全部忘れちゃった、って事じゃないの。」
のんびりとリナが答える。
ガウリイがむっとする。
「あのな。お前、オレを馬鹿にしてるだろ。・・・オレが聞きたいのは。
あんな小さな子が、記憶を失うってのはどういう状況でそうなったんだろう、って事だよ。」

交互に前に向かって運ばれる、細い足。
腰につけた巾着が、ぱたぱたと脇で揺れている。
決して走り出したり、飛び跳ねたり、寄り道したりはしない。
規則的に、まるで計ったように同じ歩幅で歩いている、少年。

「言われてみれば、そうね。・・・・これはあたしの推論だけど。」
「ああ。」ガウリイは思わず身構える。
「一。この子はいいとこのぼっちゃんで。ある日突然、身の代金目的で攫われ、途中でからくも逃げ出したものの、家に帰る道がわからない。
記憶がないってのは嘘で、あたしたちを信用していないから。
二。前半は同じで、誘拐されたか何かで。
その時に受けたショックで、ホントに記憶がなくなった。
ショックってのは、精神的打撃とか、または頭に強い衝撃を受けた場合ね。
・・・ここまではわかる?」
「あ・・・・ああ・・・なんとなく。」だが額にかかる一筋の汗は隠せない。
「なんとなくでもいいから、聞いてて。
一の場合、彼の道案内で屋敷にたどり着ける確率は高いわ。
何せ、記憶はホントはあるんですからね。
二の場合、その可能性はかなり低くなるわ。
記憶ってのはやっかいな代物で、断片的になると変な連鎖を起こして、本人はそうだと思い込んでても全く違った記憶とすり代わってることがよくあるの。だから、こっちが屋敷のあった方角だって、本人が思っても、それは必ずしも当たりじゃないわけ。」
「う・・・・・うん・・・・・」
「だから。まずはそれを確認しなくちゃ、ね。」
「え、な、なにを?」
「あ〜〜〜〜もう、やっぱりわかってない。だから。」
リナは背伸びをし、ガウリイに向かって最大のひそひそ声で言う。
「あの子に記憶がホントにないのかどうか、確かめるのよ。」
「え〜〜〜〜。どうやって。」
ガウリイも囁き声で返す。
「さあ。知らないわよ。それはガウリイの役目よ。」
「な、なんでオレ!?」
「子供の扱いはあんたのが上手いからよ。あたしはどーも子供って苦手よ。」

「仲がいいんですね。」

びびくん。
固まった二人の前には、いつのまにかこちらを向いて立ち止まってる少年。
無邪気な笑顔を浮かべて二人を見上げている。
硬直状態から抜け出た二人は、慌てて手を振る。揃って。
「や、あたし達は別に、ほら、ね?」
「そ、そうだぞ、ぼーず。」
「仕事の話をしてただけなのよ、仕事の。」
「そ、そうだぞ。」
「そうでしたか。」
なおもにっこりと笑顔を見せ、少年は何事もなかったように再び歩き出した。

リナは隣に向かって呟く。
「さっきのを訂正するわ。あたしは子供が苦手なんじゃなく。
あの子が苦手なのよ。」





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