「ケンカをしよう。」

夕飯はちっとも美味しくなかった。
ここが一番食事が美味しい宿屋だと聞いてきたのに。

周りの客はさも美味しそうにぱくついていた。おかわりが運ばれ、何度も乾杯の音頭がかかり、客の会話もはずんでいる。
食事が旨い証拠だった。
でも、リナの舌にはなんの味も感じなかった。




早々に部屋へ引き上げる。何も考えたくなかった。この先のことも。
ただ、眠ってしまいたかった。
でもやっぱり眠れなかった。


こつん。

窓のガラスに、なにかが当たる音がした。
リナは気にも止めなかった。

こつん。
また、音。
何だか、豆粒ほどの小石がガラスに当たったような音だ。

こつん。
「うるさいわね!」
がばっと眠れないベッドから身を起こすと、リナは窓を乱暴に押し開けた。
「誰よ?」


「よう。」

 
暗がりから男の声がした。
リナはびくっとした。
何故なら、聞こえるはずのない声だったからだ。

「起きてたか。」
「なにしてんのよ、そんなトコで。」
「いや、今町に着いたところだ。こんな時間じゃ宿屋も泊めてくれない
し、ここで夜を明かそうかな、と思って。」


月が東の山の端から顔を出し、二人を照らした。
柔らかな光がそれぞれにいつもと違う趣きをかもし出す。

宿屋の2階の窓から、傷付きやすい夏の果実のように繊細でもろい、一人の少女が顔を出していた。前庭には、一本の木を背に青ざめた金髪の、触れると切れそうな辺りをはらう雰囲気の男が立って、2階を見上げていた。

「なんでそんなトコで寝るのよ。」
「悪いか。」
「そうじゃなくて、なんでって、きいてるのよ。
「うーーん、何でかな。」

少女は男からは見えないところで、拳を握り締める。
「そういうところがイヤなのよ。」
「ん?」
「質問には、答えを返して。」
「どうして。」
「だって、そうでしょ。ききたいことがあるから質問するのよ。」
少女は怒りながらも、うなだれる。
「知りたいことがあるから質問するの。
答えも何ももらえないなら、質問の意味がないじゃない。
答えたくないなら、そう言えばいい。
答えがあるなら、ちゃんと言葉にして、答えとして返して欲しい。」

少女の言葉には力があったが、彼女の肩はわずかに震えていた。
幽かな月の光の中でも、それは男にも見て取れた。

「上がっていいか。」
「え?」
するすると男は木を登る。2階の窓は目と鼻の先だ。
「・・・・・」
来ないで、と口から飛び出そうになる。来て欲しいのに。
俯くと、弱さを見せるようで嫌だった。真直ぐに前を見据える。

男はガウリイだった。
少女は、リナ自身だった。
窓をはさんで、二人は一日ぶりにまともに顔を合わせた。

くすり、とガウリイが忍び笑いをした。
笑われたことで気持ちが収まるわけはなかった。
「何よ?」
「いや、どっかでこんなハナシを聞いた気がしてさ。」
「どんなハナシ。」
「ある女の子が初恋の相手のことを考えてバルコニーに立っていると、
当の相手が木に登って会いに来るってヤツ。その女の子の第一声が
『おお、●●●、あなたはなんで●●●なの?』って、とぼけた質問か
ましたりして。何だか、今のお前に似てないか。」
リナは赤面した。
その物語の続きを知っていたからだ。悟られないよう、悔しいが顔を伏せることにした。
「なによ、そんなの、どこで聞いたのよ。」
「さあ、どこでだったかな。」
「・・・また。」
「ん?」
「質問には答えを、よ。」
「ああ、そうか。」

ガウリイが、また小さく微笑う。
「何よ。」
「いや。何だかひさしぶりにお前の顔、まともに見たなって。」
「・・・・・」
「どうした。」

だめだ。出るな。涙。

「リナ?」
「・・・どうして、そんなに平気な顔してるの!」
「ん?」
「何でそんな風にへらへら戻ってこれるのよ?!」
とうとう爆発した、抑圧された感情たち。

「あんたは、あたしに愛想つかして別れたんじゃなかったの?!
あんな、一言だけ残してさっさと行っちゃって、別れの挨拶もなしに、
どんどん行っちゃって、あたし、あたしはバカみたいに宿屋のオッサンに
『二人』とか言っちゃって、お風呂に入っても全然愉しくなくて、ご飯なんかちっとも美味しくなくて、眠いのに眠ることもできなくて、それで、それで、それ・・・で・・・・」


 言いたいことなんか、ちっとも言葉になってない。
 聞きたいことなんか、ちっとも聞けない。
 戻ってきてくれて、うれしい、なんて絶対言えない。


あたしは、ケンカがしたかった。のかも知れない。
ぽんぽん言いたいことを言い合って、ああ言えばこう言う、あたしが相手の傷を探れば、相手があたしの傷を探る。お互いの傷を見せ合って、溜まってる膿みがあったらかきだして、きれいさっぱり、筋の通る関係にしたい。
そういうことだったのかも知れない。

あたしは、ガウリイに傷つけて欲しかった。
あたしの中に溜まった膿みのようなモヤモヤをあたしに気付かせて欲しかった。あたしに真剣で斬り付けてまっぷたつに引き裂いて、そのモヤモヤがなんなのか教えて欲しかったのだ。
そして、あたしはガウリイを傷つけたかった。
押しても引いてもビクともしない、弾力のある壁のようにガウリイを包んでいる何かを切り裂いて、向こう側にあるいつもは見えないガウリイが見たかった。いつもはぐらかしてばかりで、一向に明かそうとしない本心が知りたかった。傷つけることで、そんなホントのガウリイが表に現れるかも知れないと微かな希望を抱いて。

そんな、ハダカのケンカがしたかったのだ。


気がつくと、涙が止めどなく顎を伝っていた。

いつも、あたしを泣かせるのはガウリイ。
ガウリイのことで泣くのは、あたし。

涙顔を見られたくなくて、窓から離れた。
どうしたらいいのか、全然わからなかった。


がたん、と音がして、窓が閉まった。
「ガウリイ!」
あたしは急いで振り向いた。
また、行っちゃったんだ。何も言わずに。



「ここにいるよ。」
声は部屋の中からした。
 
ガウリイが内側から窓を閉めたのだ。

 

 

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