「見えない未来(あした)、気づかない現在(いま)」




重くまとわりつく、泥のような眠りからあたしは一気に飛び起きた。

「なっ・・・」

眠っていた自分に腹を立て、急いで目をこする。
いつのまにか朝になっていて、眩しいほどの光が窓から差し込んでいた。
その中に、自分がいた場所は。
見覚えのある部屋、見覚えのあるベッドの上。
「・・・ガ・・・!」
慌てて辺りを見回すあたしに、窓のほうから声がかかる。
「はいよ。」
「!!ガウリイ!?」
「目が覚めたか。おはよう。」
開け放した鎧戸の前で、ガウリイがこちらを向いて立っていた。
長い黄金色の髪、青い瞳で、いつもの青い貫頭服を着ていた。
「・・・!」

だんっ!!どだだだっっ!!!!

あたしはベッドから飛び下り、ガウリイに詰め寄る。
「おはよう、じゃないわよ・・・!!
何呑気に、朝の挨拶してんのよっ!!!!!」
「・・・いけなかったか?」
「いけなかったかって・・・」
きょとんとするガウリイは、いつもと全く変わらなかった。
ほんの少し前、打ち倒された様子など微塵もない。
朱に染まった髪も元通りの輝きを放っていて、まるで、何事もなかったようだ。
「だ・・・・だから・・・あんた・・・」
いつも思うことだが、こんな時でもそうだ。
ガウリイの真ん前に立つと、顔を見上げるのに苦労する。
届かなくて、腹が立つくらいに。
だから首ねっこをつかまえたり、髪を引っ張ったりしていたのは。
届くところに、無意識に引き寄せようとしていたんだろうか。

「・・・リナ?」
いつものように飛びかかろうとして。


・・・・できなかった。
 

どんっ

 
「いてっ」
ガウリイが思わず呻くくらい、ちょっと強く。
みぞおちの辺りに頭突きをくらわせた。
・・・それしか。
他にどうすればいいか、思いつかなかった。
「・・・・あんた・・・ね・・・・」
頭を押しつけているので、ガウリイの顔は見えない。
「おはようとか・・・痛いとか・・・。そんな・・・
そんなことも言えないように、なるとこだったのよ・・・?」
あたしは下を向いていた。
見えるのは木の床と、裸足のままの自分のつま先だけ。
「なのに・・・なのに、あんたときたら、
まるで何にもなかったみたいに・・・!そんな・・・
普通の声で、朝の挨拶なんかしちゃって・・・・」

けれどそれは、あたしが願ったことでもあった。
何よりももう一度、声が聞きたいと。
その声があたしの名前を呼ぶ。

「・・・リナ。」
 

ぐうっと咽が詰まる。
顎が震え、視界が揺らぐ。
顔を上げることも、それ以上文句を言うこともできなかった。
震えてしまいそうだから。
 
ガウリイもそれきり何も言わず、しばらく動きもしなかった。
やがて覚えのある感触が頭に触れた。
ぽんぽん、と軽くはねる大きな手のひら。
「・・・ごめんな。」
低い声が頭の上からする。
「でも、な。お前さんと、いつも通りの会話がしたくてさ。」
「・・・・・・」
「目が覚めたら、どこも痛くないし。
お前さんは寝てるしで。
なんだかまだ、夢を見てるみたいでな。」
「・・・・・」
「心配、かけたよな。
・・・・悪かった。
でもこの通り、もう大丈夫だから。」
「・・・・・・」

答えの代わりに、あたしはそっと頷いた。
少ない言葉の中に、ガウリイの、足りない言葉に込められた気持ちが聞こえた気がした。
この瞬間を共有したいと思っているのが。
生きていることを実感したいのが。
あたしだけではないことが。

体の脇でぎゅっと握っていた拳を開く。
硬くこわばった腕をあげてみる。
そっと伸ばすと、思ったよりすぐ近くにその体があって。
回してみるとやっぱり大きくて、背中で腕はあまり余らなかった。
「・・・・・」
馴染みのない感覚に、胸がざわつく。
自分で思っていたより、腕に力が入らない。
代わりに、もっと長い腕があたしの体を両脇から包み込んだ。
カーテンがかかったように。
周囲が暗くなる。
「・・・・・・」
 
実体に触れて、実感が形になる。

全てを失うかも知れないと一瞬でも思ったその瞬間に。
もぎとられてしまった隙間が埋められていく。
それは溢れるくらいで、初めて味わうのに、何故か懐かしかった。
奪われた熱が戻ってくる。
その暖かさに、胸が痛くなった。

何一つ言葉にできない。
一人の想い。
二人の気持ち。
そのまま、呼吸するのが精一杯だった。
・・・・苦しくなるまで。
 

「・・・・・」







やがて沈黙が溜まって、耐えられなくなると。
あたしは腕を少し解いた。
そして、ずっと考えていた、決めていた思いを口にした。
「もう・・・覚えてないかも知れないけど。
あんた、前にあたしに聞いたよわね。
この先、いなくなる予定でもあるのかって。」
「・・・・え?」
ガウリイも腕を緩める。
「あの答え、まだ言ってなかったと思って。」
「・・・・そうだっけか?」
「そうよ。で、その答えなんだけど。」
決めてしまった言葉は、すぐに口にしないと色褪せる。
あたしは少し早口でまくしたてる。
「この際だからはっきり言っておきますけど。
ないから。
あたしのほうはないから、そんな予定。
立ててもないし、考えてもない。
だから心配しなくていいわよ。
あたしがいなくなったらどうする、なんて。」
「・・・・・え?」

戸惑った声のガウリイに、決心して顔を向ける。
ガウリイに言わせる前に、どうしても言いたかった。

「だから!この先の話よ!
あんたってば、いろいろ言ってたでしょっ!?
あたしを守れなきゃ意味がないとか、剣士として役立たずだとか!
・・・あのね!
それって、あんたの勝手な思い込みだから!!
あんたにいて欲しいかどうかは、あたしが決めることよ!
その上で、あんたがあたしといたいかどうか、決めればいいのよ!
わかった!?」
驚いたように開いていく青い瞳に、叩き付けるようにあたしは言う。
「旅の連れとして、あんたの剣の腕とか、勘とか、もちろん頼りにしてるわよ。
・・・・でもね!
あんたは、それだけじゃないでしょ!?
剣術バカとか、剣取ったら何も残らないなんて言ったけど!!
違うからね!?
あ、あたしは・・・」
一気に言ってしまわないと、言えなくなる。
「あたしは、あんたといたいの。
目が見えなくたってかまわない。
今度は、目を治す方法を探しに旅に出ればいいのよ!
あたしは・・・・あなたにいて欲しいんだから。
だから!
あたしからいなくなる予定なんて、ないわよ。ずっと!」
「・・・・!」

ガウリイの、その瞳にあたしが映っていなくても構わない。
自分の心が決めたのだ。
他の誰でもなく、この人の傍にいたい。と。

「・・・わかった!?聞いてた!?
そういうことだから!!
勝手にいなくなったりとか、身を引いたりとか、故郷に帰るとか、そういうの、許さないから!
目が見えないって理由で、あたしの前からいなくならないで!!
決めるなら、あんたの心で決めてよね!
あたしといるか、いたいか。
それとも、もう・・・
一緒にいたくないっていうなら・・・」

ぼふっ

 
大きな手が、いきなりあたしの鼻と口を塞いだ。
目を白黒させて見上げると、ガウリイが眉間にしわを寄せて覗き込んでいた。
「・・・こら。黙って聞いてれば。勝手なことを言ってるのはどっちだ。」
「もがが!」
「お前さんは、どうも一人で考え込んじまう癖があるからな。
結論を出す前に、少しはオレに話せって。いつも言ってるだろ。」
「ふがふご!!」
「え?・・・あ、悪い。」
「ぷはっ!!」
ようやく解放されたあたしの肩に、ガウリイが手を置いた。
「ずっと考えてたんだろ、これからどうするかって。
・・・言えよ、オレに。
どうしたらいいかなんて、二人で話し合えばいいだろ。」
「だ、だって・・・」
「それに、聞くまでもないことを。」
「・・・へっ?」
ガウリイは表情を和らげていた。
普段見せるよりずっと、優しい瞳で温度を感じるくらいだった。
「オレがお前さんといたいかどうかなんて、今さら聞くまでもないだろ。
これまでずっと、いたじゃないか。
お前さんの傍に、ずっと。」
「!」
「嫌だったら、とっくにいなくなってるさ。
お前さんが無理矢理引き止めてたわけでも、縄で縛りつけてたわけでもないだろ。
約束も、一緒にいなきゃいけない理由だってなかった。
・・・お前さんだってそうだ。
お互い、いようと思った場所がここだったから。
ずっと来たんだろ、一緒に。」
「・・・・・・」

 
レゾの施設を見た時から、一人で抱えていた何かが壊れた。
張り詰めていたものが弱まって、体から力が抜けて行く気がした。

「そんな顔するなよ。」
鼻と口を覆っていた手が、今度は優しく頬に触れてきた。
「本当は、嬉しかったんだぜ。
そういうことを一番言って欲しいやつに、そう言ってもらえるのって。
なかなかないだろ。
生きてて良かったなって。」
「・・・・!」
我慢していたものが、一気に溢れ出してきた。
顔を逸らしてしまいたかったけれど。
優しい手が、そうさせてはくれない。
「な・・・によっ・・・人の気も・・・知らないでっ・・・。
あたしが・・・どれだけ・・・」
「ああ。心配してくれてたんだろ。わかってる。」
「あんたが・・・落ち込んでるんじゃないかって・・・
目を離したら・・・いなくなっちゃうんじゃないかって・・・」
「そうか。」
「なのにあんたときたら・・・っ・・
あんな・・・危ないとこに来て・・・
それで・・・
あたし・・・・もう・・・あんたの声も聞けなくなる・・・っ・・・て・・・」
「言っちまえ、リナ。全部。」
「・・・っ・・・!」
 
それ以上続けられなくなったあたしを、ガウリイがそっと抱きしめてくれた。
胸の痛みはどんどん熱に変わってきて、それが後から後から、言葉の代わりに溢れてきた。

大きな体にしがみつくようにして、あたしは。
他の誰にも見せたことのない、全てを曝け出して預けた。
今までも、たぶんこれから先もずっと。
こんなことは二度とないだろう。
無力で無防備な自分をさらすことなど。

 
気がつくと、あたしは自分の足で立っていなくて。
まるで小さな子を抱っこするように、ガウリイの腕に抱えられていた。
全部吐き出して、疲れた頭にそれはふわふわと心地よくて。
いつしか両腕を投げ出すように、ガウリイの首に回していた。
「!」
ふと顔をあげると、驚くほどガウリイの顔が近くて。
驚くと同時に、あたしは小さな笑みを漏らした。

そうだ、たぶんあたしはずっと、こんな距離になりたくて。
下のほうで地団駄踏んでたんだな。

「・・・・」
鼻と鼻が触れあうところで、二人で微笑んだ。
だからその先は、ごく自然なステップだった。
どちらからともなく顔を傾け。
今一番伝えたいことを行動で表そうと。
お互いが触れ合える場所を探して、見つけだした。

「・・・・・・・」

 
一度軽く重ねたら、あとは簡単で。
すぐに二度目を。

そして離れがたくなって。
その後は。
触れている時間より、離れている時間のほうが短くなった。
 
 

「・・・・・・・」












次のページへ進む