「夜光虫」
〜本気で恋する五秒前〜


  
 リナ達が、ゾアナ王国でアメリアとゼルガディスに「奇跡と感動の」再会をはたし
て数日後の話。
 
 
「この先で、面白いものが見られるんだ。行ってみないか?・・・あ、いや。面白い
かどうかはわからんが、珍しいのは確かだ」
 ゼルガディスがそう言い出したとき、リナはぽかんとして彼の顔を見つめてしまっ
た。・・・珍しいのはあんたの態度よっ!!と、ツッコミを入れるより早く、アメリ
アが元気に叫んでいた。
「え、何?何があるんですか?行きましょう!すぐ、行きましょう!!」
 嬉しそうにゼルガディスの腕をとり、出口に引っ張っていくアメリアと、そのあと
に続くガウリィ。
 仕方なくリナは、残っていたライムジュースを、こくこくごくん・・・っと飲み込
み、立ち上がった。
(どうせなら、アメリアだけ誘ってやればいいのに。)
 全員誘って、どうすっかな。そう呟きつつ、リナは夕食代の金貨をテーブルに積み
、彼らの後を追った。
 
 
「え〜〜っと。湖だよな、ここ」
「こう暗くっちゃ、せっかくの風景が台無しですよ。月がでるまで待つんですか?ゼ
ルガディスさん」
 あたりを見回しながら、ガウリィとアメリアがたずねる。
「で?ここで何が見られるの?伝説の恐竜?」
 リナの口調が何故か、冷たい。
「暗くないと、来た意味がないんだ。まあ、見てろって」
 そう言うと、彼は手にした石を、たてつづけに湖面に向かって放り投げた。
 絡み合うように浮かぶ、水面上の同心円。それが、淡い光を発しつつ、湖面に広が
って行く。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜ぁ!綺麗です!何ですか、今の?」
 ぴょんぴょん飛び跳ねながら叫ぶアメリアの声に、ガウリィの声が被さる。
「魔法・・・か?」
「そうじゃないわよ」
 ガウリィに答えたリナも、実は今の発光の正体は分からない。
「・・・夜光虫と言うんだ」
 ゼルガディスが発動させた魔風(ディム・ウィン)の呪文が水面を走る。その軌跡
をたどるように追走する淡い光の道。ふわりと現れたそれは、たよりなく瞬いて・・
・消えた。
「正体は、砂粒ほどの小さな生き物なんだが。水面に刺激を与えると、ああいう風に
・・・」
 彼が指さす先で今、魚が跳ねた。小さいが複雑な波紋が、輝きながら湖面を彩る。
「・・・発光する。細かい原理を説明しても良いが、聞きたいか?」
 唇の端を微妙につり上げた表情でたずねるゼルガディスに、首を横に振って答える
三人。
「きれいなものは綺麗。それで良いです」
 にっこりと微笑むアメリアは、未だゼルガディスの腕にぶら下がったままだったり
する。
「へえぇ。あたしも自分では結構物知りのつもりだったけど、こんなのは初めて見る
わ」
 手袋を脱いだリナが、湖面に手を伸ばし、触れる。水を掻く動きにあわせて描き出
される光の文様は、どこか、人の心をとらえて離さないものがあった。
「・・・盗賊いぢめばっかりやってるからじゃないのか?」
 ガウリィの声に、むっとして顔を上げたリナは、アメリア達がいなくなっているこ
とに気付いた。
 よく見ると、暗い林の中に消えようとしている、白い影が二つ。その、小柄な方が
振り返り、リナに向かって手を振った。ウインク。そして、Vサイン。
 リナとガウリィを二人っきりにするために、さりげなくフェイドアウトしようとし
ているのか。あるいは。
「・・・止めないのか?」
 のんきな声で呟くガウリィに、真顔で答えるリナ。
「あたしが?どうして!アメリア達のデートのじゃまなんて、するはずないじゃない
の!」
(・・・いつも、余計な気を使って!!とか言ってキレるくせに・・・)
 そう思いつつも、ほっと溜息をつくガウリィ。
「オレ達は、どうする?宿に、帰るか?」
「・・・そうね。もう少し、いましょうよ。滅多に見られるものじゃ、ないんだから」
 いつになく素直なリナ。滅多に見られないのは、お前の今の態度だぞ・・・と思い
つつ、ガウリィは彼女の頭をぽんぽんとたたく。
「静かだな」
「・・・うん」
 風もなく、鳥も、獣も、虫さえも鳴かない静かな湖畔で、二人は黙って湖面を見つ
め続けた。
 
 
「うっわ〜〜。こっちは、広いんですね!」
 鬱蒼と茂る林を抜けると、急に視界が広がった。岩盤が露出しているせいか、この
一帯だけ葦の群生が見られない。水際に走りよったアメリアが水滴を跳ね散らかしな
がら、はしゃぐ。
 暗闇に慣れた目で見てもなお、夜光虫の光は淡く、はかない。それでも、アメリア
の周囲に飛び散る水が、彼女の姿を光らせる光景は、十分に幻想的だった。
「お前が来たいと言ったんだろうが。満足したか」
 あくまでそっけない口調の彼に、神妙な表情で訴えるアメリア。
「わたし、まだ帰りたくありません。・・・ダメですか?」
 表面冷静を装いながら、内心激しく動揺するゼルガディス。
(帰りたくないってお前・・・。ガキのくせに、一人前のことを・・・)
「・・・まだちょっと・・・早いんじゃないか?」
 その、答えとも言えないつぶやきに、アメリアの表情が明るくなる。
「やっぱりそうですよね!!まだ、早いです!もう少し、遊んで帰りましょう!!」
 そう叫ぶやいなや。アメリアは走り出し、湖面に身を踊らせた。
 いったん水面下に沈んだ彼女の身体が再び浮かび上がった。湖上に顔を出したアメ
リアは、彼に向かって器用に手を振って見せた。彼女の周りに広がる、光の輪がさざ
めいて、崩れる。
(なんだ。まだ遊び足りなかっただけか。・・・話にならん・・・)
 そう思いつつも、うろたえた自分がおかしくてつい、苦笑を浮かべてしまう。だが
、不愉快ではない。
 彼自身、自分の対人感覚がいびつだという自覚は、はっきりと、ある。
 物心ついて以来、彼は常にある人物の背中を追い続けていた。
 伝説の聖人、赤法師レゾ。
 思えば、最初の一歩から彼は道を踏み誤っていたのかもしれない。レゾがいるとき
は彼の後を追い、レゾがいないときは、彼の残した教則に従って、ひたすら己を鍛え
た。
 家族はいた。だがその記憶は陽炎よりも淡い。友と遊んだ覚えも、ない。彼の視界
には、「誰よりも強い」ただ一人の男しか入っていなかったのだ。
 
(妹。)
 
こんな単語が、彼の脳裏をよぎる。
 まるで、生まれて始めて知った言葉のような新鮮な驚きをもって、彼はその単語を
吟味する。
(妹か。こんな感じのものかもしれないな。)
 再び、くすぐったいような気分が彼をとらえる。だが不思議なことに。
 その感情は、かつて彼を苛んだいらだちや焦りを呼びさましはしなかった。
「ゼルガディス、さぁん!」
 湖面を両手でたたくようにして、大きくジャンプするアメリア。青白く輝くその姿
は、伝説の水霊族(ニルファ)を連想させた。そして。
 そういうことを考えた自分自身に、苦笑してしまう。
(どうかしているな、俺も。)
 そもそも。こんなところにリナ達を誘う気になったこと自体、らしくない・・・と
言う気がする。
 再び湖面に目を向けると、アメリアがちょうど上がってくるところだった。視線を
彼に据えたまま、こちらに歩んでくるその姿に、彼は違和感を覚える。
 普段の彼女なら、ちょこまかと走りよって来そうなものである。そう考えた彼の耳
に、かすかな呪文詠唱が聞こえた。何の呪文かまでは特定できないが、間違いなくア
メリアの声だった。
(何だ?・・・敵か!)
 身構えるゼルガディス。その時、彼の頭上に何かの気配が広がった。
「・・・上かっ!!」
 剣に手をかけ、振り返る彼。そのとき。
 
  ぱん。
 
 一抱えはありそうな巨大な水球が、彼の頭上で盛大にはじけた。
「ぶわっ」
 いくら普段「理性的」で、「冷静」であったとしても。突発事態に驚くのが人の常
というものである。
 とっさに左腕で顔を庇ったものの、さすがの彼もしばらくは、何が起こったのか判
らなかった。
「わあ。すごく綺麗ですよ、ゼルガディスさん」
 アメリアの嬉しそうな声。
 濡れネズミ状態のまま振り返る彼の動きにあわせて飛び散った水滴が、淡く発光す
る。
「ごめんなさい。でも、私の身体が光るのを見ていたら、どうしてもゼルガディスさ
んで試してみたくなって・・・。本当、すっごく綺麗でした!!ああ!一瞬で消えち
ゃったのが惜しいくらい!」
(つまり、いたずらだったわけ・・・か?)
 あまりのことに力が抜け、彼はその場に座り込んでしまった。彼には、呪文をいた
ずらに使おうなどという発想自体、なかったのだから。
 軽い足音をたてて、(彼の予想通り)走りよってくるアメリア。その勢いのまま、
マントをはずそうとしていたゼルガディスの正面に回る。
「待ってくださいゼルガディスさん。そのままで大丈夫です」
 微笑むと、再び呪文詠唱にはいる姫。この呪文・・・火炎球(ファイア・ボール)?
「おい!一体何を・・・」
 叫ぶより早くアメリアの呪文が発動した。彼の身体を熱気が包む。
「?」
 彼の身体を包んだのは炎ではなく、熱風だけだった。マントに含まれていた水分が
、一瞬水蒸気になって立ちのぼり、消えた。
「びっくりさせちゃいました?ごめんなさい」
 肩口に手を伸ばしてみる。マントも、そこに触れた手袋も、きれいさっぱり乾いて
いた。
「でも、すごいでしょ。リナさんに教わったんです。私の姉さんも呪文には詳しかっ
たけど、リナさんにはかないません!」
「呪文の応用か・・・」
 常に、より強力な攻撃呪文のみを求め続けていた彼は、そういう知識にも疎い。考
え込むゼルガディスの表情をうかがっていたアメリアが、こんな事を言い出した。
「他にもあるんですよ。やって見せましょうか。・・・そこ、動かないでくださいね」
 そう言うと、アメリアは林の方にじりじりと下がって行く。ときどき、距離や方向
を図るように首をかしげたりしている。やがて、彼からかなりの距離をとったところ
でアメリアが叫んだ。
「準備、できました!湖の方を向いて立ってくださぁい!」
 馬鹿馬鹿しい。と、立ち去ってしまってもよかった。だが。
 請われるままに背を向けるゼ泣Kディス。何となく、興味がわいてきたのだ。
「アメリア、行きます!!」
 その声と共に、彼女がすごい勢いでこちらに向かってくる気配がする。そして。
 ぐぁしっっ!と、彼女が腰にしがみつくと同時に、呪文が発動した。
「翔封界(レイ・ウイング)!」
 疾走しながらこの呪文を唱えると何が起こるのか。などと考えたほんの一瞬の間に
、答えの方が彼に迫ってきた。目の前には、暗い湖面。
 
 どばばばばばばばばばばばばばばしゃ〜〜〜〜ん。
 
 勢いがついているから、湖面を飛び石状態で疾走したあげく、ようやく水中に転が
り込む。風の結界が、人の背よりも高く水をけちらす様が派手派手しい。夜光虫いい
迷惑。
「・・・よくもまあ、次々と人の意表を突いてくれる。びっくり箱か、お前は!!」
「びっくりするのはこれからです!周りを見てください!」
 アメリアに言われて視線をあげる彼の目に飛び込んできたのは。
 星明かりも届かぬはずの水中に、点々と光る発光体。魔法の明かりでも、夜光虫で
もない。ぼんやりとした光はそれでも、夜光虫よりはハッキリしていたし、第一規則
正しく明滅していた。
「そうか。これがあの、発光クラゲか」
 毎年発情期が近づくとこのように発光することから、このようなストレートな呼び
名がついた。食用になるわけではないし、地元民にとっては格別、珍しいものでもな
い。知られていないのも、無理はない。
「やっぱり、知らなかったんですね」
 そう言って、満足げに頷くアメリア。水場に近寄らない彼のことだから、気付いて
いないだろうとは思ったのだが。風の結界ごしに、無心に水中を見つめるゼルガディ
スを見つつ、アメリアは安堵の溜息をもらした。
「・・・アメリア」
「はい?」
 元気な声に返ってきたのは、困惑しきったゼルガディスの声。
「マントを離してくれないか?さっきから、どうも首がしまると思ったら・・・」
「え?わっ!やだ、私ったら!!ごめんなさいゼルガディスさん!」
 慌てて飛びすさり、真っ赤になって口ごもるアメリアに、ゼルガディスが呟いた。
「さっきから何度目だ?・・・お前は、あやまれば、何でも許されると思っているの
か?」
「え?」
 彼のその一言で、たちまち沈みこむアメリアの表情。その、まばゆき満月がいきな
り闇夜に転じたかのような激しい落差に、かえってあわてるゼルガディスであった。
 さっきまでのパワフルさが、かくも見事になりをひそめてしまうと、それはそれで
寂しいものがある。
「・・・俺の言い方が、悪かった。俺はただ単に・・・」
 ここで言葉を切り、沈黙するゼルガディス。結界の中に座り込み、頭をかきながら
、何事か考え続けている。
「どうしてそんなに脳天気でいられるのか、知りたかっただけで・・・いや、違う。
すまん」
 聞きたいのは、そういうことではなくて・・・頭をばりばりかきながら、言葉につ
まってしまった彼に、アメリアがきょとんとした視線を向ける。 
 何を言いたいのかさっぱり判らないけど、彼が大真面目なのだけは、判る。アメリ
アもぺたんと腰を下ろし、ゼルガディスの顔を熱心にのぞき込んでいた。
 





後編へ続く。