「Close to Close」
〜汝の願いを言え〜

 
  たった一週間、俺は何度、彼女を傷つけただろう。天空に君臨する
 月を見上げる。あの日もやはり円を描く月が輝いていた。

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  一体なにがあったというのだ。ゼルガディスが詳しい事を説明しようと
 しないフィリオネルに焦燥をつのらせた。
 「言葉でどうこう言う前にアメリアに一度会ってもらってからの方が話
 がはやいだろう」
 ようやくそれだけを口にし、それは説明しないのではなくそのための
 適切な言葉がみつからないのだという事を伝えた。それ以上の質問をす
 る余裕を与えられずフィリオネル王子とともにセイルーン王宮内の長い
 回廊を通りゼルガディスはそこへ連れられた。アメリアの部屋、の前、
 なのだろう。フィルがその扉の前で視線をゼルガディスへ向け、なにが
 あっても驚かないようにとでもいうかのように決心を促した。その物々
 しい態度は逆に滑稽でさえあったのだがゼルガディスは小さく肯いて見
 せた。重そうな扉が音もたてずに開かれた、そしてその先には…何の
 ことはない。アメリアがそこにいた。
 ゼルガディスがホッとため息をついた。その先に立っているのはアメ
 リア以外のなにものでもない。そりゃまあ、一時期行動をともにしてい
 たときの動きやすい格好とは違い着ているものはレースの織り込まれた
 上等のドレスで頭上には冠を頂いてはいるが。さんざんフィリオネル達
 に脅されてここまで連れてこられたゼルガディスが微苦笑をうかべそば
 へ近づいた。アメリアが優雅に微笑んで言った。
 「あの…はじめまして、でいいのかしら。お名前、うかがっても宜しい
 ですか?」
 茫然自失、ということが本当にありうるのだということをゼルガディ
 スはこの時初めて知った。

  意識の混濁したまま別室へ移されたゼルガディスにフィル王子がよう
 やく事情説明をはじめた。
 数週間前のことだ。城をぬけだし城下へ出たアメリアが例に漏れず悪人
 どもへ愛の説教を繰り広げようと鉄塔へよじ登り…足を滑らせて落ち
 た、らしい。いつもなら「セイルーン王家笑い話」ですむところだった
 のだろうが今回にかぎり打ち所が悪かったのか良かったのか先ほど見た
 とおり記憶を失ってしまいえらく姫さんらしくなってしまったらしい。
 「ふっ。わしなんかおまえの父でこのセイルーンの王子だと名乗った途
 端気を失われたぞ」
 フィルが複雑怪奇な表情でぼぞりと言った。医者の見立てなどについ
 ても簡単に説明してみせたのだがあいにくゼルガディスには聞こえてい
 ない。その意識がようやく戻ったのは、
 「ぜひゼルガディス殿にもアメリアの記憶を取り戻す協力をしてほし
 い」
 とフィルが言ったときであった。驚いて、言う。
 「―――俺は医者じゃない」
 「記憶といった目に見えない障害は心に直結した病である部分が大きい
 ので、そういう病は技術的なことでどうこうというよりもごく親しい者
 達がそばにいるという事の方が効果があるそうだ」
  医者がそのようにフィルに説明したそれをそのままに繰り返してゼル
 ガディスへ聞かせた。
 それでまるで拉致でもされるかのようにここまで連れてこられた訳か。
 ゼルガディスはセイルーン王家主催・世界の魔法書展示博覧会というの
 をのぞきに来て捕まったのだ。まさか俺を捕獲するための催し物だった
 んじゃないだろうな。ついつい勘ぐってしまう。
 「で、なにをすればいいんだ。あんまり長くはいれないんだが」
 フィルは満面に笑みをたたえて言った。
 「先ほども言ったように極力アメリアのそばにいて話し相手になってほ
 しい」
 ゼルガディスが、一つ頷いて、フィルへアドバイスをした。
 「もしリナたちの手も借りたいなら今度は‘これが世界の秘宝・魔法
 剣’か‘万国吃驚・世界の美食’でも催すんだな」
  もちろん皮肉のつもりっだったのだが、フィルは大きく頷くと感謝の
 言葉をのべた。


 こうしてゼルガディスは新しくきた医者としてアメリアへ紹介された。
 なまじ友人だと名乗ってアメリアを追いつめるようなことになることを
 避けるためだ。それでなくとも、普段は和やかに振る舞ってはいるもの
 の知らない人間たちに囲まれて内心は気がたっているらしく不眠を起こ
 しているらしい。それに気づいた侍女の一人が申告し現在は治療薬と称
 して眠り薬をつかい無理矢理寝かしつけていた。
 「新しいお医者さまなの?」
 「ゼルガディスだ」
 名前から伝えなければならないことに心がざらつく。
 「よろしくお願いします」
 アメリアは殊勝に頭を下げた。哀しみをふくんだ優雅すぎる微笑。俺
 の知らない、俺の事を知らないアメリア。

 そして数日が過ぎた。

 「……ゼルガディスさん、どうかなさったんですか?」
 不思議な事に彼女は他の医者をそう呼ぶように「先生」とは呼ばず、
 ゼルガディスを名前で呼んだ。声だけが昔のままに自分を呼ぶ。
 その間、ゼルガディスは時間の許す限り、アメリアの望む限りその
 そばにいた。今朝もフィルのすすめで子供の頃アメリアが好んで読んだ
 というそれをアメリアに声に出して読ませゼルガディスはそれを聞いて
 いたのだが、記憶を取り戻す予兆のようなものさえみせないアメリアに
 鬱々としていた。その童話は、誰もが似たような話を一つは読んだこと
 のあるだろう、例の「願い事を3つ言え、かなえてやろう」というやつ
 だった。
 「ゼルガディスさんだったらどんなお願いをしますか?」
 くだらない質問だと思うが、答えないわけにもいかない。
 「3つもいらない。一つあれば…元の姿に戻してもらう」
  ゼルガディスの投げつけるような口調にアメリアが黙り込んでしまっ
 た。あわてて、ゼルガディスが言った。
 「少し、外を歩かないか。ずっと部屋に閉じこもったままでいると、体
 にこけが生えるぞ」

  そういうわけで庭園を歩いていたのだが、木漏れ日にまぶしそうに瞳
 を細めながらゼルガディスは不安そうな表情をうかべているアメリアの
 方を見ようともせずに素っ気なく答えた。
 「なんでもない」
  そちらを見なくてもアメリアが泣きそうな表情をうかべただろうこと
 を感じる。いつも言ったあとで後悔する。やはり今回も後悔した。しか
 し、謝罪の言葉はのどにひっかかったように出てこようとしない。あま
 りにも違う。記憶とともにカオスワーズさえもすっきり忘れ去ったその
 少女はまるで普通の姫さんなのだ。正義と愛について熱く語ることもな
 くいきなり高所へよじ登るような奇癖もない、ただそこに可憐に咲いた
 花のようなアメリアをみるのはひどくいらつく。アメリアは話題を探し
 た。
 「あの―――そのお体のこと、聞いてもいいですか?」
 それについて話すには、自分の愚かさや、それに身内の恥などにつ
 いてもふれないわけにはいかない。平素なら決してふれたくない話題だ
 ったのだがアメリアを傷つけてしまった償いのつもりで俺はそれを話し
 て聞かせた。…それにまつわるリナたちとの旅のことを話すことでア
 メリアがなにかを想い出すかもしれないという思惑もあった。そして今
 もこの呪われた体を元に戻すために旅をしていること。アメリアは驚愕
 の表情をうかべてその話に耳をすませた。その表情からはなにかを想い
 出したような様子は見受けられない。
 「でも、たとえゼルガディスさんがどんな姿をしていてもゼルガディス
 さんがゼルガディスさんに違いはありません」
 真剣にそう言うアメリアに我知らずため息をついて、ゼルガディス
 が言った。
 「冗談だ」
 「え?」
 「全部、作り事だ。面白かったか?」
 アメリアは肯いた。アメリアは賢明にもゼルガディスの意図とする
 ところを読みとった。つまりは‘このことは誰にも話すな’とゼルガ
 ディスが言っているのだということを。
 「ゼルガディスさん、私を知ってますね?」
 アメリアが会話の途切れたあいまの沈黙に唐突にそう言った。
 「記憶を失う前の私を知ってますね?」
 「さあな」
 ゼルガディスは強硬には否定しなかった。
 「記憶を失う前の私はゼルガディスさんのことをなんて呼んでたんで
 す」
  アメリアは諦めず重ねて尋ねた。
 「―――――今のアメリアと同じように」
 「いまの私とゼルガディスさんの知っている私は違いますか?」
 ゼルガディスがまっすぐにアメリアを見た。正面からまじまじとみ
 つめられてアメリアが頬を染めた。
 「そうだな…。俺の知っているアメリアとは違うな。正義の味方おた
 くでぶっ壊し屋で全然姫さんらしくなくって、あんたみたいに大人しく
 してなかった」
 その言葉を聞くなりすっと青ざめたアメリアにゼルガディスが驚いた。
 「どうした、アメリア?」
  目の前でそれまでのアメリアの表情が崩れぼろぼろと涙をこぼした、
 呆然と立ちすくむゼルガディスの前で…。泣きそうな表情をしたこと
 は何度か見たことがあったがアメリアが本当に泣いたのは初めて見た。
 ゼルガディスはそこからアメリアが走り去った後もしばらく独り立ちほ
 おけていた。


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